一二三読 検証編目次 第02巻下つ巻 / (四百つまき) 全38帖 (043 〜 080)

一二三読 検証編目次 第02巻下つ巻 / (四百つまき) 全38帖 (043 〜 080)
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一二三の検証編太陽の検証
一二三060
下つ巻 第18帖 (060)
 この道は神()の道であり人の道であるぞ。この道の役員は神が命ずることもあるが、おのれが御用すれば、自然と役員となるのぞ、たれかれの別ないぞ、世界中の臣民みな信者ざから、臣民が人間ごころでは見当とれんのも無理ないなれど、この事よく腹に入れて置いてくれよ。神()の土出るぞ、早く取りて用意して皆に分けてやれよ。神()に心向ければ、いくらでも神徳与へて何事も楽にしてやるぞ。七月の二十三日、ひつ九のか三のふで。
平易意訳

 この道は太陽達の道であり人の道なのです。
 この道の役員は神が命ずることもありますが、おのれが御用すれば、自然と役員となるのです。だれかれの別はありません。世界中の臣民みなが関係者(信者)ですから、臣民が人間ごころでは見当とれないのも無理ないですが、この事よく腹に入れて置いてください。
 太陽(ミロク)達の土(全てを産み出す元の土)が出てきます。早く取って用意して皆に分けてやってください。
 マコトの神・ミロク達に心向ければ、いくらでも神徳与えて何事も楽にしてやります。
 七月の二十三日、ひつ九のか三のふで 。
解説と補足説明

yuru63:2013/10/05
 「この道」が「世界中の臣民みなが関係者(信者)」であるということは、全ての民は岩戸開きの為の役者であるということの様です。
 この事は頭で考えて理屈で記憶するのではなく、腹に入れて(腹で理解して)おいて置いてくださいと伝えています。

 一二三50-85と関連している内容と思われます。

年月日

昭和十九年七月二十三日
 旧六月四日(1944年)



一二三の検証編太陽の検証
一二三059
下つ巻 第17帖 (059)
 学や知恵では外国にかなうまいがな、神たよれば神の力出るぞ、善いこと言へば善くなるし、わるきこと思へばわるくなる道理分らんか。今の臣民 口先ばかり、こんなことでは神()の民とは申されんぞ。天明は神示書かす役ぞ。神の心取り次ぐ役ざが、慢心すると誰かれの別なく、代へ身魂使ふぞ。因縁のある身魂はこの神示(ふで)見れば心勇んで来るぞ。一人で七人づつ道伝へて呉れよ、その御用が先づ初めの御用ぞ。この神示通り伝へて呉れればよいのぞ、自分ごころで説くと間違ふぞ。神示通りに知らして呉れよ。我を張ってはならぬぞ、我がなくてもならぬぞ、この道六ヶしいなれど縁ある人は勇んで出来るぞ。七月の二十一日、一二の 。
平易意訳

 学や知恵では神サタン・月人が導く外国にかなわないでしょう。まことの神をたよれば神の力出ます。善いこと言えば善くなるし、わるいことを思えばわるくなる道理分かりませんか。
 今の臣民は 口先ばかり、こんなことでは太陽(ミロク)達の民とはいいません。
 天明は神示書かせる役です。
 神ミロクの心を取り次ぐ役ですが、慢心すると誰かれの別なく、代え身魂を使います。
 因縁のある身魂はこの神示(ふで)見れば心勇んで来ます。
 一人で七人づつ道・未知(予言・預言)を伝えてください。その御用が先づ初めの御用です。
 この神示通りに伝えてくれればよいのです。自分流で説くと間違います。
 書いてある神示通りに解読して知らせてください。
 我を張ってはなりません。我がなくてもなりません。この道は六ヶしいですが縁ある人は勇んで出来ます。
 七月の二十一日、一二の
解説と補足説明

yuru63:2013/10/01
 学や知恵を振りかざしたところで、神サタンの作り上げた地上人の認識をマコトの道へ導くことはできないようです。
 道を伝える為に未知(みち・未来の智)である予言・預言を検証するということを伝えているのかもしれません。

年月日

昭和十九年七月二十一日
 旧六月二日(1944年)



一二三の検証編太陽の検証
一二三058
下つ巻 第16帖 (058)
 知恵でも学問でも、今度は金積んでも何うにもならんことになるから、さうなりたら神(〇ゝ)をたよるより他に手はなくなるから、さうなりてから助けて呉れと申しても間に合わんぞ、イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。日本精神と申して仏教の精神や基督教(十)の精神ばかりぞ。今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ。神()の国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、悪の神わたりて来てゐるから、いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ。神()の国ざと口先ばかりで申してゐるが、心の内は幽界人(がいこくじん)沢山あるぞ。富士から流れ出た川には、それぞれ名前の附いてゐる石置いてあるから縁ある人は一つづつ拾ひて来いよ、お山まで行けぬ人は、その川で拾ふて来い、みたま入れて守りの石と致してやるぞ。これまでに申しても疑ふ臣民あるが、うその事なら、こんなに、くどうは申さんぞ。因縁の身魂には神()から石与へて守護神の名つけてやるぞ。江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。てん四様を都に移さなならん時来たぞ。江戸には臣民住めん様な時が一度は来るのぞ。前のやうな世が来ると思うてゐたら大間違ひぞ。江戸の仕組すみたらカイの御用あるぞ。いまにさびしくなりて来ると、この道栄えて世界の臣民みなたづねて来るやうになるぞ。七月の二十一日の夜、ひつ九のか三。
平易意訳

 知恵でも学問でも、今度は金積んでも何うにもならないことになりますから、そうなったら大神や内なる神(〇ゝ)をたよるより他に手はなくなりますから、そうなってから助けてくれといっても間に合いません。イシヤ(石屋=フリ−メ−ソン)の仕組にかかって、まだ目がさめない臣民ばかりです。
 日本精神と申して仏教の精神や基督(キリスト)教の精神ばかりです。
 今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心させます。太陽(ミロク)の国のお土・情報に悪を渡らすことならないのですが、悪の神が渡って来ていますから、いつか悪の鬼どもが中に入り込むかも知れません。
 太陽(ミロク)の国ですと口先ばかりで言っていますが、心の内はイシヤ誘導の精神になってしまった幽界人(がいこくじん)が沢山あります。
 富士である太陽の国の文書の山から流れ出た記事(川・検証内容)には、それぞれ名前(題目)のついている文書を集めた石を置いてありますから縁ある人は一つずつ内容を拾って参加しに来てください。『太陽のサイト』まで理解が及ばない人は、その川情報を拾って来てください。みたまを入れて守りの情報・石碑と致します。
 これまでに説明しても疑う臣民ありますが、うその事なら、こんなに、くどくは申しません。
 因縁の身魂には太陽達から仕組の駒石を与えて守護神の名をつけてあげます。
 「都市攻撃」と「ノアの大洪水」により、江戸(都市)が元のすすき原になる日が近づきました。
 四体の大天使様を都(宇宙の中心部)に移さねばならない時が来ました。
 江戸(地上の都市)には臣民が住めない様な時が一度は来るのです。
 前のような世が来ると思っていたら大間違いです。
 地上において雛型の江戸の仕組がすみましたら太陽(ミロク)の世を開くカイ(解読・成答の海)の御用あります。
 いまにさびしくなって来ると、この道が栄えて世界の臣民みな訪ねて来るようになります。
 七月の二十一日の夜、ひつ九のか三 。
解説と補足説明

yuru63:2013/09/27
 「時が来ました」と書いていますが、私達の時間の感覚とは違い、永遠の生命の立場での 時の捉え方の様ですので、何時なのかは 判りづらいと思います。

年月日

昭和十九年七月二十一日
 旧六月二日(1944年)



一二三の検証編太陽の検証
一二三057
下つ巻 第15帖 (057)
 この方祀りて神示(ふで)書かすのは一所なれど、いくらでも分け霊(みたま)するから、ひとりひとり祀りてサニワ作りてもよいぞ。祀る時は先づ鎮守様によくお願いしてから祀れよ、鎮守様は御苦労な神様ぞ、忘れてはならんぞ、この神には鳥居と注連(しめ)は要らんぞ。追ひ追ひ分かりて来るぞ、一二七七七七七わすれてはならんぞ、次の世の仕組であるぞ。身魂みがけば何事も分りて来ると申してあろがな、黙ってゐても分るやうに早うなって下されよ、神()の国近づいたぞ。七月の二十一日、ひつ九のか三。
平易意訳

 この方ミロクを祀って神示(ふで)書かせるのは一か所ですが、いくらでも分け霊(みたま)しますから、ひとりひとり太陽(ミロク)を祀ってサニワを作ってもよいのです。
 祀る時は先づ鎮守様によくお願いしてから祀ってください。鎮守様は御苦労な神様です。忘れてはなりません。この神ミロクを祀るときには鳥居と注連(しめ)は要りません。
 追い追い分かってきます。一に『太陽のサイト』と、二つのサイトである『宇宙の真相サイト』と『終末と太陽の検証サイト』と七の臣民が作るサイトにより『九の花サイト』が七(な)り、雛型が七(な)り岩戸開きが七(な)り、神ミロクの国が七(な)ります。一二七七七七七わすれてはなりません。次の世の仕組です。
 身魂みがけば何事も分って来ると云っているでしょう。黙っていても分るように早くなって下さい。神の国近づきました。
 七月の二十一日、ひつ九のか三 。
解説と補足説明

yuru63:2013/09/23
 この帖の「サニワ」は、下記を参考にすると、神意を伝える場所となり、太陽(ミロク)を祀ったサイト(HPやブログ)を指している様に聞こえます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%A9%E7%A5%9E%E8%80%85
審神者

審神者(さにわ)とは、古代の神道の祭祀において神託を受け、神意を解釈して伝える者のことである。後には祭祀の際に琴を弾く者を指すようにもなった。
「さにわ」(歴史的仮名遣いでは「さには」)は、元は「清庭」(さやにわ)の意味で、神を祭り神託を受けるために忌み清めた庭(場所)のことを指したとする説が有力である。
ーーー
関連記事「神楽m127」

年月日

昭和十九年七月二十一日
 旧六月二日(1944年)



一二三の検証編太陽の検証
一二三056
下つ巻 第14帖 (056)
 臣民ばかりでないぞ、神々様にも知らせなならんから、なかなか大層と申すのぞ。一二三(ひふみ)の仕組とは、永遠(とは)に動かぬ道のことぞ、三四五(みよいづ)の仕組とは、みよいづの仕組ぞ、御代出づとは神()の御代になることぞ、この世を神()の国にねり上げることぞ、神()祀りたら三四五の御用にかかるから、その積りで用意して置いて呉れよ。この神()は世界中の神と臣民と、けだものも草木もかまはねばならんのざから、御役いくらでもあるぞ。神様と臣民 同じ数だけあるぞ。それぞれに神つけるから、早う身魂みがいて呉れよ、みがけただけの神をつけて、天晴れ後の世に残る手柄立てさすぞ。小さいことはそれぞれの神にきいて呉れよ、一人ひとり、何でもききたいことは、病直すことも、それぞれの神がするから、サニワでお告うけて呉れよ、この方の家来の神が知らせるから何でもきけよ。病も直してやるぞ、その神たよりたなら、身魂みがけただけの神徳あるぞ。この世始まってない今度の岩戸開きざから、これからがいよいよぞ。飛んだところに飛んだこと出来るぞ。それはみな神がさしてあるのざから、よく気つけて居れば、さきの事もよく分かるようになるぞ。元の神()代に返すと申すのは喩へでないぞ。七から八から九から十から神烈しくなるぞ、臣民の思う通りにはなるまいがな、それは逆立してゐるからぞ。世界一度にキの国にかかりて来るから、一時は潰れたやうに、もうかなはんと云ふところまでになるから、神はこの世に居らんと臣民申すところまで、むごいことになるから、外国が勝ちたやうに見える時が来たら、神の代近づいたのぞ、いよいよとなりて来ねば分らん様では御用出来んぞ。七月の二十日、ひつ九のか三。
平易意訳

 臣民ばかりではありません、神々様にも知らせねばなりませんから、なかなか大層というのです。
 一二三(ひふみ)の仕組とは、永遠(とは)に動かぬ道のことです。三四五(みよいづ)の仕組とは、みよいづの仕組のことで、御代出づとは太陽(ミロク)の御代になることです、この世を太陽(ミロク)の国にねり上げることです。太陽達の仕組の文をサイトに祀りましたら、三四五の御用にかかりますから、その積りで用意して置いてください。
 この神ミロクは世界中の神と臣民と、けだものも草木も面倒を見なければならないので、御役はいくらでもあります。
 太陽達の岩戸開きに参加する神様と臣民は 同じ数だけ存在しています。
 それぞれの臣民に神をつけますから、早く身魂をみがいてください。身魂磨きの程度に応じた神を守護につけて、天晴れ後の世に残る手柄立てさせます。
 小さいことはそれぞれ自身の直観(神)にきいてくださいよ。一人ひとり、何でもききたいことは、病直すことも、それぞれの神がしますから、サニワで判断してお告うけてください。この方ミロクの家来の神が知らせますから何でもきいてください。
 病も直してやります。その神(正神のお告げ)をたよりましたら、身魂みがけただけの神徳があります。
 この世始まってない今度の岩戸開きですから、これからがいよいよです。
 飛んだところに飛んだことが出来ます。
 それはみな神がさせてあるのですから、よく気をつけて居れば、さきの事もよく分かるようになります。
 元の神代(太陽達の代)に返すというのは喩えでないのです。
 七(2010年)から八(2011年)から九(2012年)から十(2013年)から仕組に参加している神の活動(地震・大風・大雨・火山などか?)が烈しくなります。臣民の思う通りにはならないでしょう。それは逆立しているからです。
 世界一度に大天使太陽(ミロク)の国にかかって来ますから、一時は潰れたように、もうかなはんというところまでになるのですから、神はこの世に居らんと臣民がいうところまで、むごいことになりますから、サタン派の国が勝ったように見える時が来ましたら、太陽(ミロク)の代が近づいたのです。いよいよとなって来ねば分らない様では御用出来ませんよ。
 七月の二十日、ひつ九のか三 。
解説と補足説明

yuru63:2013/09/20
ひふみふでの中に「雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神」という記述が所々で見受けられます。七から八から九から十から烈しくなる神はこれらの神のことを云っているのでしょうか。
そうであるとすると、現在の異常気象や大雨や地震や火山噴火の多さは、これらの神の活動であるという可能性もあります。

年月日

昭和十九年七月二十日
 旧六月一日(1944年)



一二三の検証編太陽の検証
一二三055
下つ巻 第13帖 (055)
 逆立ちして歩くこと、なかなか上手になりたれど、そんなこと長う続かんぞ。あたま下で手で歩くのは苦しかろうがな、上にゐては足も苦しからうがな、上下逆様と申してあるが、これでよく分るであろう、足はやはり下の方が気楽ぞ、あたま上でないと逆さに見えて苦しくて逆様ばかりうつるぞ、この道理分りたか。岩戸開くとは元の姿に返すことぞ、神の姿に返すことぞ。三(みち)の役員は別として、あとの役員のおん役は手、足、目、鼻、口、耳などぞ。人の姿見て役員よく神の心悟れよ、もの動かすのは人のやうな組織でないと出来ぬぞ。この道の役員はおのれが自分でおのづからなるのぞ、それが神の心ぞ。人の心と行ひと神()の心に融けたら、それが神の国のまことの御用の役員ぞ、この道理分りたか。この道は神の道ざから、神心になると直ぐ分るぞ、金銀要らぬ世となるぞ。御用うれしくなりたら神の心に近づいたぞ、手は手の役、うれしかろうがな、足は足の役、うれしかろうがな、足はいつまでも足ぞ、手はいつまでも手ぞ、それがまことの姿ぞ、逆立して手が足の代りしてゐたから よく分りたであろうがな。いよいよ世の終りが来たから役員気つけて呉れよ。神代近づいてうれしいぞよ。日本は別として世界七つに分けるぞ、今に分りて来るから、静かに神の申すこと聞いて置いて下されよ。この道は初め苦しいが、だんだんよくなる仕組ぞ、わかりた臣民から御用つくりて呉れよ、御用はいくらでも、どんな臣民にでも、それぞれの御用あるから、心配なくつとめて呉れよ。七月の十八日の夜、ひつくのか三。
平易意訳

 逆立ちして歩くこと、なかなか上手になりましたけど、そんなこと長く続きません。
 あたまが下で手で歩くのは苦しいでしょう、上にいては足も苦しいでしょう。上下逆様と云ってありますが、これでよく分るでしょう。足はやはり下の方が気楽です。あたま上でないと逆さに見えて苦しくて逆様ばかりうつります。この道理分りましたか。
 岩戸開くとは元の姿に返すことです、太陽(ミロク)を頭とした神の姿に返すことです。三(みち・予言,預言の検証)の役員は別として、あとの役員のおん役は手、足、目、鼻、口、耳などです。人の姿見て役員よく神の心・宇宙そのものの心を悟ってください。もの動かすのは人のような頭と手と足と目と鼻と口と耳を持つ組織でないと出来ません。
 この道の役員はおのれが自分でおのづからなるのです。それが神の心です。
 人の心と行いと太陽(ミロク)の心に融けましたら、それが神の国のまことの御用の役員です。この道理分りましたか。
 この道は神の道ですから、神心になると直ぐ分かります。金銀要らない世となります。御用うれしくなったら神の心に近づいたのです。手は手の役、うれしいでしょう、足は足の役、うれしいでしょう、足はいつまでも足です、手はいつまでも手です、それがまことの姿です、逆立して手が足の代りしていたから よく分ったでしょう。
 いよいよ世の終りが来ましたから役員気をつけてください。神代が近づいてうれしいです。日本は別として世界七つに分けます。今に分って来ますから、静かに ふでの神 の云うこと聞いて置いて下さい。この道(太陽達の道)は初め苦しいですが、だんだんよくなる仕組です、わかった臣民から御用つくってください。御用はいくらでも、どんな臣民にでも、それぞれの御用ありますから、心配なくつとめてください。
 七月の十八日の夜、ひつくのか三 。
解説と補足説明

yuru63:2013/09/15
 「日本は別として世界七つに分けます。」
これは実際の国について云っているのか、比喩的に表現しているのかはわかりません。

比喩的に表現しているのであれば、
「日本」⇒「太陽(ミロク)の心に融けた所」
「世界」⇒「その周りに存在する所」
ということも考えられます。

「01」は別として次元の違う世界が「7」あるので、
「日本」⇒「ヒ(一)の本」⇒「01」⇒「0〜1次元」とし
「世界」⇒「2次元〜8次元」のように分けると云っているのだろうか。
「ひふみ九九算表」を次元構造的に表したもの
0次元 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
1次元 0 1 2 3 4 5 6 7 8 0
2次元 0 2 4 6 8 1 3 5 7 0
3次元 0 3 6 0 3 6 0 3 6 0
4次元 0 4 8 3 7 2 6 1 5 0
5次元 0 5 1 6 2 7 3 8 4 0
6次元 0 6 3 0 6 3 0 6 3 0
7次元 0 7 5 3 1 8 6 4 2 0
8次元 0 8 7 6 5 4 3 2 1 0
9次元 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0


年月日

昭和十九年七月十八日
 旧五月二十八日(1944年)



一二三の検証編太陽の検証
一二三054
下つ巻 第12帖 (054)
 この神()は日本人のみの神()でないぞ。自分で岩戸開いて居れば、どんな世になりても楽にゆける様に神がしてあるのに、臣民といふものは慾が深いから、自分で岩戸しめて、それでお蔭ないと申してゐるが困ったものぞ。早う気づかんと気の毒出来るぞ。初めの役員十柱集めるぞ。早うこの神示写して置いて呉れよ、神()急けるぞ。七月の十八日、ひつ九の 。
平易意訳

 この神太陽(ミロク)は日本人のみの神ではないのです。
 自分で岩戸開いて居れば、どんな世になっても楽にゆける様に神がしてある(宇宙真理がそうなっている)のに、臣民というものは慾が深いから、自分で岩戸しめて、それで(太陽の仕組に携わっても)お蔭ないといっていますが困ったものです。
 早く気づかないと気の毒が出来ます。
 初めの役員十柱集めます。早くこの神示を写して置いてください(太陽の究・救・光・宮に関する神示を記録しておいてください)。太陽の仕組に関連する神は急ぎます。
 七月の十八日、ひつ九の
解説と補足説明

yuru63:2013/09/08
 最近の状況を証明しているのでしょうか、「終末と太陽の検証に携わってもお蔭ない」と臣民がいっている状況が記されている様に聞こえます。

年月日

昭和十九年七月十八日
 旧五月二十八日(1944年)



一二三の検証編太陽の検証
一二三053
下つ巻 第11帖 (053)
 けものさへ神()のみ旨に息せるを神()を罵る民のさわなる。草木さへ神の心に従ってゐるではないか、神()のむねにそれぞれに生きてゐるでないか、あの姿に早う返りて呉れよ、青人草と申すのは草木の心の民のことぞ。道は自分で歩めよ、御用は自分でつとめよ、人がさして呉れるのでないぞ、自分で御用するのぞ、道は自分で開くのぞ、人頼りてはならんぞ。七月の十八日、ひつくのか三。
平易意訳

 けものさへ神()のみ旨に息しているのですが神()を罵(ののし)る民は多いものです。
 草木さえ神の心に従っているでしょう。神()のむねにそれぞれに生きているではないですか。あの姿に早く返ってください。
 青人草と云うのは草木の心の民のことです。道は自分で歩んでください。太陽(ミロク)の御用は自分でつとめてください。人がさしてくれるのではないです。自分で御用するのです、道は自分で開くのです、人を頼ってはなりません。
 七月の十八日、ひつくのか三。
解説と補足説明

yuru63:2013/09/07
「青人草と云うのは草木の心の民」
 草木の心とは健気(けなげ)で純粋なものではないでしょうか。
 「生まれ赤子のうぶ心」「無心の境地」にも通づるところがある様に感じます。
 参考になりそうな情報があったので以下に紹介してみます。
http://i-kibun.com/stress021.shtml
「気分」が良いときの頭の中

「気分」が良いとき、そして「気分」が悪いとき、
私たちの頭の中は、どのような状態になっているのでしょう。

ここでは主に、リチャード・カールソンの著書を「教科書」にして、オリジナルのイメージ図を用いてわかりやすく説明していきます。


下記は、リチャード・カールソンの著書「楽天主義セラピー」 から抜粋した、「思考」のしくみについて書かれた一文です。

「驚くべきことに、人は湧いてくる思考について、ほとんどコントロールできません。まるで思考が心の中に、でたらめに現われてくるかのようです。思考に対するコントロールは、思考が形成されたあとにはじめて出てきます。思考が形成されたあとでなければ、その思考を考え続けるか、流れ去るままにしておくかの選択はできないのです。」


私たちは、日に5万以上もの「思考」を生み出しています。

頭の中で、つぎつぎと「思考」が湧いてくるのを感じることができます。
たしかに、湧いてくる「思考」をコントロールすることは、できませんね。

私たちはまず、自分の意思ですべての「思考」をコントロールすることができないのです。


「思考」が形成されたあと、私たちがなにもしなければ、「思考」は流れ去ってしまいます。
ここでも、私たちは自分の意思で「思考」を捨てているわけではありません。
私たちがなにもしなければ、「思考」は勝手に現れて、勝手に消えてゆくのです。

つぎつぎと湧いてくる「思考」を、つぎつぎと捨てているとき、
「思考」は<自然本来の働き>をしています。

じつは、私たちが、湧いてくる「思考」を自然に流れるままにしている状態のとき、つまり、「思考」を生み出しては捨て去るという作業を続けているとき、私たちの「気分」は、とても良い状態になるのです。

この状態を図解してみると、下図のようになります。



図のように、「思考」が<自然本来の働き>をしているとき、
私たちは「すべてがうまくいっている」と感じ、「気分」の良い状態になれます。

あなたが、頭の中で、「なにもしないでいる」状態のとき、
それがあなたの「気分」が良くなる状態です。

なんと、つぎつぎと生まれてくる「思考」を流れ去るままにしてさえいれば、
私たちの「気分」はとても良く、ストレスを感じることはなかったのです!


・・・しかし、私たちはそう簡単には「思考」を流れるまま放っておくことができません。

なにか行動するとき、私たちはつねに「頭をつかって」考えているからです。

次項で詳しくみていきましょう。

年月日

昭和十九年七月十八日
 旧五月二十八日(1944年)


http://hifumi.busidou.jp/yomu/kensyou/052.html

一二三052
下つ巻 第10帖 (052)
 八月の十日には江戸に祭りて呉れよ。アイウは縦ぞ、アヤワは横ぞ、縦横揃うて十となるぞ、十は火と水ぞ、縦横結びて力出るぞ。何も心配ないからドシドシと神()の申す通りに御用すすめて呉れよ。臣民は静かに、神()は烈しきときの世 近づいたぞ。七月の十七日、一二 。
平易意訳

 八月の十日にはインターネット(江戸)に祭ってください。
 アイウの文書は太陽(ミロク)の報告との縦のつながりです。アヤワは『太陽のサイト』との横のつながりを持つサイトです。
 縦横揃って十(十柱・必要な十種の宝)となります。十の現れは火と水の役割です。縦横を結んで力出ます。何も心配ないからドシドシと太陽達の云う通りに御用をすすめてください。
 臣民は静かに、太陽(ミロク)は烈しきときの世が 近づきました。
 七月の十七日、一二 。
解説と補足説明

yuru63:2013/09/05



「アイウ」は「123(一二三・ひふみ)」となり
「アヤワ」は「1810(一八十・イワト」
となるので、縦つながりの文書・情報である「ひふみ・太陽の文」と、
『太陽サイト』と横つながりの情報である「イワト」を結ぶと「終末と太陽の検証」となるのかもしれません。

年月日

 昭和十九年七月十七日
 旧五月二十七日(1944年)



一二三の検証編太陽の検証
一二三051
下つ巻 第09帖 (051)
 今度の戦は と ○ との大戦ぞ。神()様にも分らん仕組が世の元の神がなされてゐるのざから、下(しも)の神々様にも分らんぞ。何が何だか誰も分らんやうになりて、どちらも丸潰れと云ふ所になりた折、大神のみことによりて この方らが神徳出して、九分九厘という所で、神()の力が何んなにえらいものかと云ふこと知らして、悪のかみも改心せなならんやうに仕組みてあるから、神()の国は神()の力で世界の親国になるのぞ。 と ○とは心の中に「ゝ」があるか「ゝ」がないかの違ひであるぞ。この方は三四五(みよいつ)の神とも現われるぞ。江戸の御社(みやしろ)は誰でも気楽に来て拝める様にして置いて呉れよ、この方の神示(ふで)書く役員、神示うつす役員、神示説いてきかす役員要るぞ、役員は人の後について便所を掃除するだけの心掛ないとつとまらんぞ、役員づらしたら直ぐ替身魂使ふぞ。七月の十七日、一二のか三。
平易意訳

 今度の戦は (神力・マコト・太陽と臣民)と ○(学力・獣に堕落した人民と月人達) との大戦です。
 太陽様にも分からない仕組が世の元の神(天の大神)によってなされているのですから、下(しも)の神々様にも分かりません。
 何が何だか誰も行く末が分からなくなって、どちらも丸潰れという所になったとき、大神のみことのりによってこの方ミロクらが神徳を出して、九分九厘という所で、太陽達の力が何んなにえらいものかということを知らせて、悪のかみ(神サタン)も改心せなならんように仕組んでいますから、太陽(ミロク)の国は太陽達の力で世界の親国になります。
  と ○ とは心の中に「ゝ(天の神心)」があるか「ゝ(天)」が無いかの違いです。
 この方ミロクは三四五(みよいつ)の神とも現われます。
 文明社会(江戸)の御社(みやしろ)であるインターネットの太陽(ミロク)をまつるサイトは誰でも気楽に来て読める様にして置いてください。この方ミロクの神示(ふで)を書く役員、神示をうつす役員、神示を説いてきかす役員が要ります。役員は人の後について便所を掃除するだけの心掛がないとつとまりません。役員づらしたら直ぐ替身魂を使います。
 七月の十七日、一二のか三。
解説と補足説明

yuru63:2013/08/31
 「ゝ」は「テン」と読めるので「天の神心」というダジャレでしょうか。
 一二三50-095の「天の神の御旨と統一している(神界の運行に通づる)」という内容と関連しているのかも。

〇十sun(010203)さん:(2013/09/01)
私の感想
「〇」 は人の顔で「ゝ」はその中心点にあたる「鼻」転じて「花」「八七」 等の意味もあったりして。
〇は外国をあらわしているということは「上っつら(面)の世界」は彼らの土俵ということになりそうです。
いつのまにか外見だけで判断するようになった社会、入社面接時のコミュニケーション能力=組織利益の向上が見込める能力=組織の高性能歯車になる能力を求める時代が極まってきているような気がしています。
宇宙の雛形は地球で、地球世界の雛形は日本ということから、桁は違えど宇宙=地球=日本ということだと思います。
ここで、地球は限られた世界ということになっており近年の人口爆発には警告が発せられています。
宇宙は膨張しているなら、地球も膨張しており限られた世界ではなくなります。
また、宇宙に限りがあるなら地球の表面(地上)のように宇宙の表面もあるはずです。
つまり、外国人は宇宙=地球=日本は知っているのに宇宙のことがわからないために地球と日本のことがわからずに恐怖している可能性が浮上します。
外国人の目には膨張する宇宙=膨張する日本というような映り方をしている可能性があります。
まとまっていないかもしれませんが、日本を世界に移す(膨張させる)と自動的に宇宙は無限大になると思うのですが。




一二三の検証編太陽の検証
一二三050
下つ巻 第08帖 (050)
 この神示(ふで)皆に読みきかして呉れよ。一人も臣民居らぬ時でも声出して読んで呉れよ、まごころの声で読んで呉れよ、臣民ばかりに聞かすのでないぞ、神々()さまにも聞かすのざから、その積りで力ある誠の声で読んで呉れよ。七月の十七日、ひつ九のか三。
平易意訳

 この神示(ふで)皆に読みきかせてください。
 一人も臣民が居ない時でも声出して読んでください。まごころの声で読んでください。
 臣民ばかりに聞かすのでないです、宇宙で見守っている神々さまにも聞かすのですから、その積りで力のある誠の声で読んでください。
 七月の十七日、ひつ九のか三 。
解説と補足説明

yuru63:2013/08/29
  「ふで」を読み聞かせる(祝詞を奏上する)ということが認識に影響を与えていると考えられるので、誠の声で読むということは何か意味があるようです。
 例えば「ふで」は認識を正常化する作用があるのかもしれません。
 正常化された認識というものが原動力的に働くことは経験上感じているのですが、現在のところ数学的な証明式は知りません。
年月日

昭和十九年七月十七日
 旧五月二十七日(1944年)



一二三の検証編太陽の検証
一二三049
下つ巻 第07帖 (049)
 この神示(ふで)読んでうれしかったら、人に知らしてやれよ、しかし無理には引張って呉れるなよ。この神()は信者集めて喜ぶやうな神でないぞ、世界中の民みな信者ぞ、それで教会のやうなことするなと申すのぞ、世界中大洗濯する神()ざから、小さいこと思うてゐると見当とれんことになるぞ。一二三祝詞(ひふみのりと)するときは、神()の息に合はして宣(の)れよ、神()の息に合はすのは三五七、三五七に切って宣れよ。しまひだけ節(ふし)長くよめよ、それを三たびよみて宣りあげよ。天津祝詞の神ともこの方申すぞ。七月十五日、一二 。
平易意訳

 この神示(ふで)読んでうれしかったら、人に知らせてあげなさい。しかし無理には引張らない様にしてください。
 この神太陽(ミロク)は信者集めて喜ぶような神ではありません。世界中の民がみな関係することなのです。それで教会のようなことをするなと申すのです。太陽(ミロク)は世界中を大洗濯する神ですから、小さいこと思っていると見当とれないことになります。
 一二三祝詞(太陽の文を祝う言葉・ひふみのりと)するときは、太陽達の活動に合わして宣(の)ってください、太陽の活動・「終末と太陽の検証」に合はすのは三五七、三五七に切って宣ってください。
 しまいの言葉だけ節(ふし)長くよんでください、それを三度読んで宣りあげてください。天津祝詞の神とも太陽(ミロク)は申します。
 七月十五日、一二 。
解説と補足説明
http://18.pro.tok2.com/~solht0920070/sunmoon/123_02_under/under_02_049.htm
より
氷治氏

この帖では ミロクの方針のような物が語られています。「来るものは拒まず、去る者は追わず」宗教をやるつもりはないので、教会のようなことはしないのです。最後に、ミロクは 「天津祝詞の神」とも呼ばれていると説明してあります。ここで、「天津祝詞の神」とは 天津祝詞(神さまの宇宙創造の祈りの言霊)の神というような意味のようです。

「天津祝詞の神」の参考資料

『如此(カク)出(イデ)ば、天津宮事(アマツミヤゴト)以(モチ)て、天津金木(アマツカナギ)を本打切(モトウチキリ)末打断(スエウチタチ)て、千座置座(チクラノオキクラ)に置足(オキタラ)はして、天津菅曽(アマツスガソ)を、本刈断(モトカリタチ)末刈切(スエカリキリ)て、八針(イヤハリ)に取辟(トリサキ)て天津祝詞(アマツノリト)の太祝詞事(フトノリトゴト)を宣(ノ)れ』

 天津宮事(アマツミヤゴト)以(モチ)てとは、天(神さま)の宮(大宮殿・全大宇宙)の事象(働き・出来事・すがた)を、借りて持って来て、模型として縮図的に移して。即ち一瞬一瞬新たに、神さまの全徳が、一大統一・一大調和の姿をもって、無限の無限の大光明燦然と輝き渡り、最高理想の全大宇宙と成っている、その姿を模型的に表して。

 天津金木を本打切末打断て、千座置座に置足はしてとは、天津金木(宇宙創造の根本の仕組み・働きを、極簡単に示す為の道具・模型)を、無限大に・無限小に伸展する部分をカットして、種々様々な組織構成の仕組み・働きとして、表現し・配列すること。神さまの宇宙創造は本来、すべてのすべてを尽くした表現なので、無限に無限に複雑なのです。だから無限の無限の全大宇宙を、一枚の地図に表そうとするようなものです。

 天津菅曽を、本刈断末刈切て、八針に取辟てとは、天津菅曽(神さまの命・光の流れを模型的に示すもので、草の茎の繊維を代用する)を、無限大に・無限小に伸展する部分はカットして、命・光の流れ・分かれを、模型的に表現すること。

 天津祝詞の太祝詞事を宣れとは、天津祝詞(神さまの宇宙創造の祈りの言霊)即ち神さまの全徳の無限の無限の輝きが一杯!の祈りを、そのままに表現できる言葉が太祝詞事であって、その言葉を駆使して祈ることです。太とは、大を重ねたもので、無限に無限に大きい、という意味です。またすべてを束ねる意味も有るのです。祝詞とは、祈り言葉のことです。事(ごと)とは、言(コト)言(コト)であって、沢山の言葉という意味です。

 天津祝詞の太祝詞事とは、

(1) 『ありがとうございます』
(2) 『宇宙絶対統一神・天照大御神 今ここに 在します』
(3) 『新たなる全徳の無限の無限の輝きが一杯!』
(4) 『新たなる無限の無限の幸せが一杯! 新たなる無限の無限の喜びが一杯! 新たなる無限の無限の安らぎが一杯! 新たなる無限の無限の平和が一杯! 新たなる無限の無限の調和が一杯! 新たなる無限の無限の健康が一杯! 新たなる無限の無限の恵みが一杯! 新たなる無限の無限の愛が一杯! 新たなる無限の無限の知恵が一杯! 新たなる無限の無限の力が一杯! ・・・・・・・・・・・・・・・』

 (1)(2)(3)(4)を一つに束ねた(1)『ありがとうございます』なのです。

 『ありがとうございます』という言葉は、唯一無二絶対の・すべてのすべてなる・真の神さまの、究極の御名なのです。真の神さまのすべての働き・全体像を指し示す言葉なのです。『ありがとうございます』と唱えることは、真の神さまを呼んでいるのです。呼ばれたら、真の神さまは、喜んで出て来てくださるのです。真の神さまは、呼ばれるのを待っているのです。対面できるのを、心待ちにしているのです。全知全能の真の神さまが現れたら、すべての問題は瞬時に解決するのです。一切の罪穢れは、瞬時に消えるのです。既に既に、新たなる全徳の無限の無限の輝きが一杯!なのです。
ロックさん

一二三祝詞に関する作法のようなものもありますが、こういう内容はよくわかりません。一二三祝詞の言うような内容はひふみの云う三五七、三五七に切って宣ることが神の息に合わせる事になるということなのでそのように素直に読むようにしておきます。実際に何か三五七、三五七に沿うようなことを行動として出来れば、答が出るのかなとも思います。

個人としては、現在が解読三巡目なので思うことですが、祝詞と同じようなもので、解読なども終末は悲壮なことが多そうだけれども、その中でこの神ミロクのもとで、次の世のことや目出度いことを見出そうとするところでは一致しそうなので、三度読むこと、大まかには厳密な回数ではなく、見る、観る、悟るの段階に至ることが出来た時に視野も広くなっていて、終わってみれば感謝の言葉で一杯になるというような意味合いがあるのかなとも思ったりしました。
年月日

昭和十九年七月十五日
 旧五月二十五日(1944年)



一二三の検証編太陽の検証
一二三048
下つ巻 第06帖 (048)
 今までの神示 縁ある臣民に早う示して呉れよ、御用の身魂が喜んでいろいろ御用するようになるから、早う示して江戸に仮の宮作りてくれよ。神々()さま臣民まつろひて言答(いわと)開くもと出来るから、早う知らせて呉れよ、誰でも見て読める様に写して神前に置いて、誰でも読めるやうにして置いて呉れよ。役員よく考へて、見せるとき間違へぬ様にして呉れよ、七月の十五日、ひつくのか三のふで。
平易意訳

 今までの神示を 縁ある臣民に早く示してください。御用の身魂が喜んでいろいろ御用するようになるから、早く示し(検証し)て文化社会に仮の宮(インターネットのホームページ)を作ってください。
 太陽や宇宙のサポート達や、臣民がまつろい合って言答(いわと・岩戸)開くもとが出来ますから、早く知らせてください。誰でも見て読める様にサイトに写して、『太陽のサイト』の前に置いて、誰でも読めるように訳して公開して置いてください。
 役員はよく考えて、見せるときは間違えない様にしてください。七月の十五日、ひつくのか三のふで。
解説と補足説明

00
年月日

昭和十九年七月十五日
 旧五月二十五日(1944年



一二三の検証編太陽の検証
一二三047
下つ巻 第05帖 (047)
 江戸に神()と人との集まる宮建てよ、建てると申しても家は型でよいぞ、仮のものざから人の住んでゐる家でよいぞ。 の石まつりて、神()人祭りて呉れよ。それが出来たら、そこでお告げ書かすぞ。淋しくなった人は集まりて その神示(ふで)見てよ、神示見れば誰でも甦るぞ。この神示うつす役要るぞ、この神示 印刷してはならんぞ。神()の民の言葉は神()たたえるものと思へ、てんし様たたえるものと思へ、人ほめるものと思へ、それで言霊(ことたま)幸(さき)はふぞ、それが臣民の言葉ぞ。わるき言葉は言ってはならんぞ。言葉はよき事のために神が与へてゐるのざから忘れん様にな。七月の十五日、ひつくのかみのふで。
平易意訳

 江戸(都会・文明社会)に太陽(ミロク)と人との集まる宮を作ってください。建てるといっても家は型(ホームページ)でよいです。仮のもの(サイト)ですから人が管理している家(HP)でよいのです。
  太陽(ミロク)の石(報告・警告碑)をまつって、太陽(ミロク)や人を祭ってください。
 それが出来たら、そこでお告げ書かせます。
 淋しくなった人は集まって、その一二三神示(ふで)を見てください。神示見れば誰でも甦ります。
 この神示をうつす(写す、又は反映させる)役が要ります。この神示は 印刷してはなりません。
 太陽(ミロク)の民の言葉は太陽(ミロク)様をたたえるものと思ってください。大天使太陽(ミロク)をたたえるものと思ってください、人をほめるものと思ってください、それで言霊(ことたま)幸(さき)わいます。それが臣民の言葉です。
 わるき言葉は言ってはなりません。
 言葉はよき事のために神が与えているのですから忘れない様にしてください。
 七月の十五日、ひつくのかみのふで。
解説と補足説明

yuru63:2013/08/20
 神示に書かれていることは、自然に現実の世に反映されているが、告げられた後に行っていたのでなく、書かれている内容に気付く前から行われ、その通りになっていたという現象を数多く見せている様です。
年月日

昭和十九年七月十五日
 旧五月二十五日(1944年)



一二三の検証編太陽の検証
一二三046
下つ巻 第04帖 (046)
 早く皆のものに知らして呉れよ、神()急けるぞ。お山の宮も五十九の岩で作らせておいたのに、まだ気が附かんか、それを見ても神()が使ってさして居ること、よく分かるであろうが、それで素直に神()の申すこと聞いて呉れて我(が)を出すなと申してゐるのぞ、何事も神()にまかせて取越し苦労するなよ、我が無くてもならず、我があってもならず、今度の御用なかなか六ヶ敷いぞ。五十九の石の宮出来たから五十九のイシ身魂いよいよ神()が引き寄せるから、しっかりして居りて下されよ。今度の五十九の身魂は御苦労の身魂ぞ。人のようせん辛抱さして、生き変り死に変り修行さして置いた昔からの因縁の身魂のみざから、みごと御用つとめ上げて呉れよ。教会作るでないぞ、信者作るでないぞ、無理に引張るでないぞ。この仕組 知らさなならず、知らしてならんし神()もなかなかに苦しいぞ、世の元からの仕組ざから、いよいよ岩戸開く時来たぞ。七月の十三日、ひつくのか三。
平易意訳

 早く皆のものに知らせてください。マコトの神達は急いでいます。
 親(太陽)まつる宮(サイト)も五十九の岩(五十九の項目)で作らせておいたのに、まだ気がつきませんか、それを見ても良心的で高度な宇宙文明をもつ者達が使ってさせて居ること、よく分かるでしょう。それで素直に太陽の説明することを聞いてくれて我(が)を出すなと云っているのです。何事も太陽達にまかせて取越し苦労しないでください。我が無くてもならず、我があってもならず、今度の御用はなかなか難しいのです。
 五十九の石の宮(太陽の説明をまつる所)が出来ましたから、五十九の意思を持った身魂をいよいよ神が引き寄せますから、しっかりして居いて下さい。
 今度の五十九の身魂は御苦労の身魂です。人のできない辛抱をさせて、生き変り死に変り修行させて置いた昔からの因縁の身魂のみですから、みごと御用をつとめ上げてください。
 教会作るのではないですよ、信者作るのではないですよ、無理に引張らないようにしてください。
 この仕組 知らさねばならず、知らしてはなりませんし導く神もなかなかに苦しいのです。大天使達による世の元からの仕組ですから、いよいよ岩戸開く時が来ました。
 七月の十三日、ひつくのか三。
解説と補足説明

yuru63:2013/08/18
 知らされて行ったのでなく、自然に行った結果、五十九の石の宮が出来上がっているのを見せているようです。
 よって、検証されているというハイレベルな仕組は知らさねばならないが、知らされて行ったのでは予言・預言の検証とはならないので、行っている当人に明確な内容を知らせることはできないということでしょうか。
年月日

昭和十九年七月十三日
 旧五月二十三日(1944年)



一二三の検証編太陽の検証
一二三045
下つ巻 第03帖 (045)
 この神()のまことの姿見せてやる積りでありたが、人に見せると、びっくりして気を失ふもしれんから、石にほらせて見せておいたのにまだ気づかんから木の型をやったであろうがな、それが神()の或る活動の時の姿であるぞ、神()の見せ物にしてはならんぞ、お山の骨もその通りぞよ、これまで見せてもまだ分らんか、何もかも神()がさしてあるのぞ。心配いらんから慾出さずに、素直に御用きいて下されよ、今度のお山開き まことに結構であるぞ、神()が烈しくなると、神()の話より出来んことになるぞ、神()の話 結構ぞ。七月の十三日、ひつ九のかみ。
平易意訳

 この太陽(ミロク)のまことの姿を見せてやる積りでしたが、人に見せると、びっくりして気を失うかもしれませんから、サイトに載せて見せておいたのにまだ気づきませんから一二三神示をやったでしょう、それが、太陽(ミロク)の或る活動の時の姿なのです。太陽達の見せ物にしてはなりません。親まつる予言・預言書の中心的事項・重要点・骨子もその通りとなっているのです。これまで見せてもまだ分かりませんか、何もかも太陽達の仕組でさせてあります。
 心配いりませんから慾出さずに、素直に御用きいて下さい。今度の親まつる文の山開き まことに結構であります。太陽達の活動が烈しくなると、太陽(ミロク)の話より出来ないことになります。太陽(ミロク)の話は、結構なことです。
 七月の十三日、ひつ九のかみ。
解説と補足説明

yuru63:2013/08/13
 「これまで見せている」とは、検証していることを云っている様です。
 「終末と太陽の検証」を見せているのにまだ気付いていないということも述べられています。
年月日

昭和十九年七月十三日
 旧五月二十三日(1944年)



一二三の検証編太陽の検証
一二三044
下つ巻 第02帖 (044)
 今度 岩戸開く御用は、人の五倍も十倍も働く人でないとつとまらんぞ。岩戸開くと申しても、それぞれの岩戸あるぞ、大工は大工の岩戸、左官は左官の岩戸と、それぞれの岩戸あるから、それぞれ身魂相当の岩戸開いて呉れよ。慾が出ると分らんことに、盲になるから、神()、気つけるぞ、神の御用と申して自分の仕事休むやうな心では神の御用にならんぞ、どんな苦しい仕事でも今の仕事十人分もして下されよ。神は見通しざから、つぎつぎによき様にしてやるから、慾出さず、素直に今の仕事致して居りて呉れよ、その上で神()の御用して呉れよ。役員と申しても、それで食ふたり飲んだり暮らしてはならん、それぞれに臣民としての役目あるぞ、役員づらしたら、その日から代りの身魂(もの)出すぞ、鼻ポキンと折れるぞ、神で食うて行くことならんから、呉れ呉れも気をつけて置くぞ。七月の十三日、ひつ九のか三。みなの者 御苦労であったぞ。
平易意訳

 今度 岩戸開く御用は、人の五倍も十倍も働く人でないとつとまりません。
 岩戸を開くといっても、それぞれの岩戸があります、大工は大工の岩戸、左官は左官の岩戸と、それぞれの岩戸があるから、それぞれ身魂相当の岩戸を開いてください。
 慾が出ると分らないことに、盲になりますから、岩戸開きに尽力する宇宙の存在達が気付かせます。太陽(ミロク)の御用といっても自分の仕事休むような心では太陽(ミロク)の御用になりません。どんな苦しい仕事でも今の仕事を十人分もして下さい。
 神は見通しですから、つぎつぎによき様にしてやりますから、慾出さず、素直に今の仕事を致しておいてください、その上で太陽(ミロク)達の御用をしてください。
 役員といっても、岩戸開きの御用で食うたり飲んだり暮らしてはなりません。それぞれに臣民としての役目あります。役員づらしましたら、その日から代りの身魂(もの)を出します。鼻ポキンと折れるのです。太陽の仕組で食うて行くことはなりませんから、くれぐれも気をつけて置きます。
 七月の十三日、ひつ九のか三。
 みなの者 御苦労でありました。
解説と補足説明

yuru63:2013/08/10
 臣民達の働きが、岩戸開きの御用の一部として自然に活用されているという仕組は、肯定者のみでなく否定者さえも参加させているという高度なもののようです。
 よってそれぞれが働いている時は、誰がどのように活用されているかは判らないので、役員づらすること自体が違っているということになりそうです。 
年月日

昭和十九年七月十三日
 旧五月二十三日(1944年)




一二三の検証編太陽の検証
一二三043
下つ巻 第01帖 (043)
 富士は晴れたり日本晴れ。青垣山めぐれる下つ岩根に祀り呉れた、御苦労ぞ、いよいよ神も嬉しいぞ。鳥居はいらぬぞ、鳥居とは水のことぞ、海の水ある それ鳥居ぞ。皆の者 御苦労ぞ。蛇(じゃ)が岳は昔から神が隠してをりた大切の山ざから、人の登らぬ様にして、竜神となりて護りて呉れた神々様にもお礼申すぞ。富士は晴れたり日本晴れ。いよいよ次の仕組にかかるから、早う次の御用きいて呉れよ、神急けるぞ、山晴れ、地(くに)晴れ、海晴れて、始めて天(てん)晴れるぞ。天晴れて神の働き いよいよ烈しくなりたら、臣民いよいよ分らなくなるから、早う神心(かみこころ)になりて居りて下されよ。つぎつぎに書かしておくから、よく心に留めておいて下されよ。この道(おしへ)は宗教(をしへ)ではないぞ、教会ではないぞ、道ざから、今までの様な教会作らせんぞ。道とは臣民に神が満ちることぞ、神の国の中に神がみちみつることぞ。金儲けさせんぞ、欲すてて下されよ。七月の十二日の神示(ふで)、ひつくのか三。
平易意訳

 富士は晴れたり日本晴れ。
 青垣山めぐれる下つ岩根に太陽の文を祀ってくれました。、御苦労です、いよいよ大天使・天使達も嬉しいです。
 通常の鳥居はいりません、鳥居とは水(一二三ふで)のことです、解読された一二三があります、それが鳥居です。
 皆の者 御苦労です。蛇(じゃ)が岳である本当の解読文は昔から神が隠していました大切の山ですから、人が登らない(解らない)様にして、竜神となって護ってくれた神々様にもお礼申します。
 富士は晴れたり日本晴れ。
 いよいよ次の仕組にかかりますから、早く次の御用きいてください。太陽の仕組は急ぎます。山(予言・預言書の山)が晴れて太陽の光が差し、地(くに・地上に現れたもの)が晴れて太陽の光が差し、海(解読・真の文を生むこと)が晴れて、始めて天(てん・神界)が晴れるのです。
 天(神界)が晴れて太陽の仕組の働きが いよいよ烈しくなったら、臣民はいよいよ分らなくなりますから、早く神心(かみこころ)になって居て下さい。
 つぎつぎに神心になる方法を書かしておきますから、よく心に留めておいて下さい。
 この道(おしへ)は宗教(をしへ)ではありません。教会ではありません、道ですから、今までの様な教会は作らせません。
 道とは臣民に神が満ちることです。太陽(ミロク)の国の中に神(神心の臣民達)がみちみつることです。
 金儲けはさせません、欲すてて下さい。
 七月の十二日の神示(ふで)、ひつくのか三。
解説と補足説明

yuru63:2013/08/06
 『世紀末研究報告』の文を「火」とすれば、予言・預言書などは「水」といって表現している様な言い回しが所々見受けられます。
 「太陽の文(ヒ・火)」を読む前に、「一二三神示などの予言・預言書を臣民が解釈できるようにしたもの(水)」を読むことは、鳥居をくぐることと同じことになるのかもしれません。

年月日

昭和十九年七月十二日
 旧五月二十二日(1944年)


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